読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

モンゴルのイヌワシになる日まで

短歌といろいろ走り書き

信じ切るということ

映画

『怒り』

期待していた通り‥好みの作品だった。『悪人』で空っぽになるくらい泣いたので、今回もそうなる気がしていた。開始たぶん5分くらいで泣いて、後半は嗚咽しないようにこらえるのに必死だった。3か所の土地が舞台になっていて、3つのラストがある。取り返しのついた終わりと、つかなかった終わり。登場人物のすべての立場になって、感情をなぞってみたい。一方、観る前に戻ってもう一度初めて観る、ということもしたい。

 

「信じる」ということについて考えた。疑うときは理由があるけれど、信じるときって理由がない気がした。相手を無条件に「あなただから」信じる、みたいな。もちろんそこまでの関係性があって、信じることにつながるのだろうけど、その関係性は、時間の問題でもなく、なんだろう‥。やっぱり最終的には「あなただから」としか説明できないような。信じたいけれど、信じ切るまでの関係性には足りなくて、でも信じたくて、でも信頼が間違っていて傷つくのが怖くて、自分を守ろうとして逃げ出したい気持ちもあって‥‥みたいな葛藤。

 

ふう‥

するのかよ。まあ、するか。普通。

演劇

先月、五反田団の『pion』を観た。

pion(パイオン) は獣。百獣の王であるライオンに勝った獣。ライオン、と同じイントネーションで、パイオン。小劇場の舞台を観たのは初めて。たくさん笑った。よかった。

前田司郎さんの作品は、台詞が自分たちの日常会話に近い感じがして、作り物めいていない感じが好きだ。水を飲むとすぐには身体に吸収されなくて、しばらくお腹がちゃぽちゃぽになるけれど、ポカリだと素早く吸収されるような。前田さんの作品はポカリのような感じ。『横道世之介』『ジ、エクストリーム、スキヤキ』よかった。

アフタートークの前田さんのふたつのお話。

子供のころナポリタンが嫌いだったのだけど、大人になって、もしかするとお母さんの作ったナポリタンが美味しくなかっただけで、本当はおいしいのでは?と思いつき、食べてみたら美味しくて好きになった、と。だから、嫌いだと思っていても、それは知らないっていうだけで、本当はよく知れば好きになれるかもしれないよ、ってお話。

それと、前田さん、普段は恋の話ばっかりしている、と。(たしか、20歳ころからずっと愛のことを考えている、とおっしゃっていた。)で、pion の内容に関連して、例えば5年間ひとりの人を想いつづける(片想い)ということが稀にあって、でも、その間、別の人ともまあ付き合ったりもするのだけど‥‥と。という話。

 

「稀」という点と、「別の人ともまあ付き合ったりもする」という点。何か頭に残っているお話でした。

『ふきげんな過去』は劇場で見逃したから、そのうち借りないと。

 

恋でも愛でもなく錯覚もしくは病を

映画

『ショート・ターム』

これは‥‥よかった‥‥。グレイスとメイソンが理想的過ぎた。心がほわっと温かくなった。家族の問題というのは深刻で、回復は簡単じゃない。場合によっては一生回復しない。でも、その問題=過去に囚われないで、別の世界=今・未来に目を向けることが、やっぱり大切だと思う。ありきたりだけど。頭でそう分かってはいても、心は思うようには動かせないのだけど、時間と、出会う人たちに助けられて、いつか動きだせるかもしれない。キッチンでのメイソンが愛らしいかった。ちなみに、好きなキッチンのシーンとしては『ゴッドファーザー3』のニョッキを作るシーンがある。

 

ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』

前に観たときはあれだったのに、今回観たらよかった。太宰治は深くは知らない。女性関係についてよく聞く程度にしか知らない。当事者にはなりたくないと思うのだけど、惹かれる女性の気持ちもわかる。使ってはいけない毒のような男、常習性・中毒性があって、離れても禁断症状を起こすような‥‥。それでも彼女は幸せを感じているのかもしれなくて。その幸せは錯覚かもしれないけれど、死ぬまで錯覚できれば、それはもう錯覚ではなくなるかもしれない。

・ハ!

映画

今週は映画を観なかった。

何となく量を観たくて、つい一度にたくさん借りて、急いで観て(集中できずに)返却してしまうのだけど、少なく借りて、さらっと何度も観た方が良い気がする。本を読む時も、集中して一度読むより、さらっと流し読みを何度もする方が頭に入るって聞いたことがある。映画も同じかもしれない。

 

『フランシス・ハ』

不器用で変わり者のフランシス27歳。傍目には、恋、友達、仕事、すなわち生活‥人生‥につまづいているように見えるけれど、煩悶することなく?ゴンゴン突き進んで行く。希望を叶えようと挑戦はする!けれど、上手くいかなくて。でも、だったら!って感じで方向転換を繰り返す、そのしぶとさ、悲観的じゃなさが良かった。ラストまできて、タイトルの『・ハ』は一体何だったんだ‥?と疑問が沸き上がったちょうどその瞬間、謎が明かされた。見終わったら、笑顔にさせられていた。

 

『悼む人』

原作は読んだことなくて、映画だけ。真摯。作品の体幹が真摯、と感じた。倖世の選択が、予想とは違ったけれど、それがまた真摯な気もした。精神の安定を図る方法は、人それぞれで、他人には理解できないこともあるだろう。同じ人でも、年齢や環境によって、その方法は変化していくこともあるだろうし。辛かった時期の自分を忘れてしまいたいけれど、忘れてはいけないよう、忘れない方がいいような気もする。

慎重に恋に落ちよ

映画

ブルーバレンタイン

恋に落ちて、結婚をして、その後のながい年月をともに生活するというのはどういうことなのだろう。端的に言って、困難、としか想像がつかない。ともに変わらない想いを持ち続けるか、ともに同じ方向に変化しつづけるか。そうなれずに二人が行き違った場合‥‥。行き違うほうがリアルだ。こんなんだから『君の名は。』で泣いたりできなかったのかな。にしても、ディーンは少し気の毒だ。でも、シンディの気持ちもわかる。今の気持ちに従うしかないのかなあ。

 

『あと1センチの恋』

ブルーバレンタイン』と同じく、男性から見ると、「女は勝手だ」という感想が出る作品のようだ。それも分かるけれど、女とか男とか関係なく、身勝手な人は身勝手だ。巻き込まれた側が悲劇だ。慎重に心して恋に落ちなければならないらしい。

空っぽのこころに

映画

観た映画の感想を簡単にでも記しておきたいと思いながら、全然やっていない。かろうじてタイトルだけはメモしているのだけど、すでに観た作品を新鮮な気持ちで借りてしまう、をやり始めたので、やはりタイトルだけでは不十分だ。

 

『ブルックリンの恋人たち』

いいシーンだったなあ、と感じたところを見終わった後にもう一度観てみたら、ラストシーンにリンクしていた。そこまでは気付いていなかった。あと、アン・ハサウェイが歌うシーンはとても可愛らしい。

 

『百円の恋』

泣いた。泣くとは思わなかった。試合のシーン。「おまえはだめだ」という誰かの声より、「わたしはだめなんだ」という心の声の方が致命的だと思う。根岸季衣が去ってゆくその先に微かに見えていた手花火。安藤サクラの良さとラストの良さ。

 

海炭市叙景

始まったとき、少し地味な気がして、最後まで観られるだろうか‥と思った(私は集中力がない)のに、ぐんぐん見入ってしまった。決して明るい話ではないのに、後味が悪くないのは、なぜだろう。淡々としているからかなあ。

ちなみに、これは『オーバーフェンス』を観に行くために観てみたもの。『そこのみにて光輝く』は去年、号泣した。

あなたの夢は何ですか?

穂村弘さんにはまり始めたちょうどその頃、歌人山田航さんが、穂村さんのエッセイを読み解く講座を始めることを知って、私、すぐに申し込んだのです。だから、最初はエッセイを読むだけで、本格的に短歌を作るなんて思ってもみなかった。でも、講座が進むにつれて、7・7のリズムで何か作ってみましょう、とか、7・5を繰り返す歌詞を探してみましょう、とか宿題が出るようになって、そのうち、自由詠で1首、題詠で1首など、気が付けばエッセイから短歌へすっかり移行していた。

 

そうして短歌を読み・作りするようになってから、短歌に関する入門書や同人誌、歌集等、たくさん面白い本に出合って、穂村さん以外にも興味のある人が出てきて、結果、最近は穂村さんのエッセイや短歌関連の本をあまり読んでいないと気付いた。どうしてあんなに穂村さんにはまったのか、ちょっと振り返ってみようと思った。で、まずはネットで穂村さんの過去のインタビュー記事を色々見てみたところ、ああ、穂村さんに強烈に共感したからだったと思い出した。

 

例えば過去のインタビューにある穂村さんの発言の中に、「自分に対する執着・自意識の強さと自我の弱さ」「さみしくて気が狂いそう」「愛されたいとか受け入れられたいとかそういう気持ちがすごく強い。でも、それすごく普通ですよね」などの言葉があって(私の持っていた印象以上に熱っぽい内容ではあったのだけど)、穂村さんのエッセイも短歌も、結局すべてこういう精神とか感情が核になっていて、で、それをごまかさないで提示する、ごまかすくらいなら短歌なんてやる理由は全然ない、っていう潔さというか、切実さに打たれたのだと思った。

 

私が初めて歌会に参加して、作者は誰か明かされない状態で、初めて他の人から直接自分の歌についての評を聞かせてもらったときのことを今でも覚えている。

彼「この人(作者である私)は、身勝手ですよね。相手の気持ちなんて全然考えてい ない。相手は迷惑かもしれないのに。この人は自分勝手だと思います」

私(ドキッ!!やばい。性格が‥私の悪いところがバレバレじゃないか!ひぃ~~)

彼「‥‥でも、そこがいいと思いました」

私(ふぇ?! ‥そこが、いいの?????)

 

短歌って、一般社会では短所とされがちな性格や、ネガティブな感情こそ表現することがよいとされるところがあって(他の表現行為でもそうかもしれないけれど、特に短歌はそういう面が強い気がします)、でも当時は、そういうことをまだ全然知らなかったから、「そこがいい」と言われてとても驚いた。驚きながら、短歌って、自分で嫌だなと思う性格を、それでもいいんじゃない?と言ってもらえる世界なのかもしれないと、受け入れてもらえる世界なのかもしれないと、その時感じて、短歌を続けるきっかけになった出来事だった。山田さんの講座でも歌会をするのだけど、山田さんも常々、一般的にはネガティブに捉えられるようなところを、いいですね、って褒めてくれる。だから、講座に行くと、とても癒される。自分がいても許される場所、ホームっていう感じがする。

 

私が欲しいものは、もうずっと、多分生まれたときからたった一つしかなくて、その一つが手に入ったら、短歌を作るのをやめる気がする。やめるというか、作れなくなる気がする。満ち足りてしまえば、自分の中から短歌は消えてしまう気がする。そのたった一つを手に入れたくて、今は短歌で叫んでいるのだと思う。手に入れることが人生の幸せだと今は思っているから、早く短歌を忘れる日が来るといいなあと思うのだけど、どうなのかな。でも、そのたった一つを、私は、18才の時に諦めてしまった。それからずっと、諦めている。だから、本当は、一生手に入らないのだろうと思っている。でも、それでもダサく必死にもがいて、そうして死んでもいい気もしてきて、‥‥うーん。わからないですね。わからないけれど、自分だけが、自分を苦しめたり、幸せにすることができるんだということは分かっている。

 

ただ、上記の穂村さんのインタビューの中で、「夢をなくしてもいいと思ったやつだけが夢をなくすと思っている」「今は存在しないものに対する憧れを持とうとすると、気が狂いそうになるんだ、必ず。で、今は存在しないものに対する憧れはあるけど、気が狂いそうじゃないっていうやつを信用しないんだよね」ってあって、今は、こういう気持ちを支えにして生きたい気持ちも芽生え始めています。